シニアのアスペルガー夫とカサンドラ妻 人生の最後は別居で

夫婦関係改善に向けてカサンドラ専門の夫婦カウンセリングを受けていました。しかしアスペルガー夫から気力・体力を奪われ、頭は混乱し発狂しそうになり6年程前から別居。

毒母のこと、夫のこと、長年蓋をしてきた感情を、はき出してみます。
何かが変わり、楽になれますように。

母が逝きました

少し前、

母が逝きました


一人で逝ったようでした




✳✳✳


私の人生に大きく影響した母

私の人生を自分の人生にしようとした?!母

私を自分の思い通りに動かそうとした母

私に嫉妬した母

私からお金を搾取した母

そして、思い通りにならない度に

父と次女へ私の悪口三昧


父からは「母さんに謝りなさい。」と何通か手紙が届き、

次女は私を蔑み罵倒、まともな会話にならず





私は実家と次女との関係を絶ちました







その後、

母の入院に伴い認知症の父を一人に出来ず、

次女は遠く東京で勤めもあり

困り果て

私の娘に連絡してきました



私は父のことは大好きだったので本当は父の世話をしたかったし

父には会いたかったが

母に人質に取られていたので

会いたい気持ちを我慢していました



私が父に会いにいくことは

母の罵倒や泣き落としによる揺さぶり作戦にあうことであり

その作戦には乗らないけれど

もう、そんな修羅場に耐える気力が無かった



その母が入院したなら

私が父の世話をしたい!

そう思い、すぐにセカンドハウスに行き

父の住む実家に通った




セカンドハウスは実家のある街にあります

実家から徒歩10分ほどの所にあります




年老いた両親を思い

私とアスペルガー的夫とのリタイア後のレジャーを兼ねて

数年前に実家のある街にセカンドハウスを買ったのでした



それには、アスペルガー的夫はに感謝しています




そして

母が退院する前日まで、父のそばで

毎日、父とおしゃべりし、一緒に食事をし

掃除や片付け、ゴミ出しなどしました



毎朝、

行くと、

「おー!よく来てくれたな!ちょうど良かった。朝ご飯どうしようかと思ってたよ。助かった。」

と喜んでくれました


毎夕食後、

「また明日の朝、来るからね」

と言ってるのに

毎朝、驚いて喜んでくれました



本当は泊まってあげたかったけど

初日に泊まったら

よく眠れず疲れが残り大変だったので

可哀想だったけど

長いお世話を考えて

自分のマンションで毎日休養し、英気を養いながら

通うことで頑張れました





その父は、その後、半年持たず亡くなりました




父の葬式には行きませんでした


父の葬式さえ、

私には罠に思えて、、、


また、私自身、病気で物理的に行けませんでした







そんな母が逝きました






その連絡が来た時、





あ〜、終わった


終わったんだ





と感じました






少しずつ

気持ちを書いていきたいと思います