母が逝きました
少し前、
母が逝きました
一人で逝ったようでした
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私の人生に大きく影響した母
私の人生を自分の人生にしようとした?!母
私を自分の思い通りに動かそうとした母
私に嫉妬した母
私からお金を搾取した母
そして、思い通りにならない度に
父と次女へ私の悪口三昧
父からは「母さんに謝りなさい。」と何通か手紙が届き、
次女は私を蔑み罵倒、まともな会話にならず
私は実家と次女との関係を絶ちました
その後、
母の入院に伴い認知症の父を一人に出来ず、
次女は遠く東京で勤めもあり
困り果て
私の娘に連絡してきました
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私は父のことは大好きだったので本当は父の世話をしたかったし
父には会いたかったが
母に人質に取られていたので
会いたい気持ちを我慢していました
私が父に会いにいくことは
母の罵倒や泣き落としによる揺さぶり作戦にあうことであり
その作戦には乗らないけれど
もう、そんな修羅場に耐える気力が無かった
その母が入院したなら
私が父の世話をしたい!
そう思い、すぐにセカンドハウスに行き
父の住む実家に通った
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セカンドハウスは実家のある街にあります
実家から徒歩10分ほどの所にあります
年老いた両親を思い
私とアスペルガー的夫とのリタイア後のレジャーを兼ねて
数年前に実家のある街にセカンドハウスを買ったのでした
それには、アスペルガー的夫はに感謝しています
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そして
母が退院する前日まで、父のそばで
毎日、父とおしゃべりし、一緒に食事をし
掃除や片付け、ゴミ出しなどしました
毎朝、
行くと、
「おー!よく来てくれたな!ちょうど良かった。朝ご飯どうしようかと思ってたよ。助かった。」
と喜んでくれました
毎夕食後、
「また明日の朝、来るからね」
と言ってるのに
毎朝、驚いて喜んでくれました
本当は泊まってあげたかったけど
初日に泊まったら
よく眠れず疲れが残り大変だったので
可哀想だったけど
長いお世話を考えて
自分のマンションで毎日休養し、英気を養いながら
通うことで頑張れました
その父は、その後、半年持たず亡くなりました
父の葬式には行きませんでした
父の葬式さえ、
私には罠に思えて、、、
また、私自身、病気で物理的に行けませんでした
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そんな母が逝きました
その連絡が来た時、
あ〜、終わった
終わったんだ
と感じました
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少しずつ
気持ちを書いていきたいと思います